【HNKマークについて】「ひと・ヒューマン=H」と「高専=K」をたすき掛けのように結んだ「ネットワーク=N」。それは綾取りのように高専人が織りなしてフレキシブルに発展していくHNKの姿を示しています。
HNK広報誌「赤とんぼ」第12号(2010年8月発行)より転載
宮下 和美 HNK前事務局長 ( 長野高専機械工学科3期 70年卒業 )
全国レベルの高専会への思い
今から遡ること二十年、社会に出てちょうど二十年を経た頃の同級会でのこと。
県内に本社のある大手企業の高専会の話題になった時、ふと気になり、他県から来た高専OBはどうしているの?と、尋ねてみると、参加させていないとの返事でした。
「それじゃあ、他県に就職した同級生は皆、同じ思いをしているのか」「全国レベルで学校の枠を外した高専会を作ろう…」
そのことをきっかけとして長野高専歴代の応援団長たちを中心に、HNK設立準備会を結成し、毎月のように集まり、どうすれば全国にアピールできるか?理 念は?と、話し合いを続けました。飲み会を重ねているうちに、いつの頃からか、会計担当の宮下の顔を見たら一万円の会費を払うものと、それが長野OBの慣
例になっていたと聞いたのはしばらく経ってからでした。そんな中、或る先輩の「簡単にはできないよ、世の中を変えるにはそれが培ってきた時間だけ掛かるも のだよ」とのひと言が心に留まりました。
1996年10月 設立総会を開催
インターネットが普及する前のBBS利用をはじめとして、周到な準備に費やすこと五年。ついに一九九六年十月五日、東京に乗り込み、設立総会開催にこぎ 着けました。全国各地から同窓会関係者や有志が集まり、ここに正式にヒューマンネットワーク高専(HNK)が発足したのです。
当時私たちは会社の中堅として頑張っていた頃で、どうすれば人に集まってもらえるかを模索していました。年一度の総会の他に、敢えて全国各地を会場に、 出掛けては旅行を兼ねた研究会や発表会を重ねました。しかし、苦労の割に勢力は伸びず、会員は三百名を越えることはありませんでしたが、京都駅集合の出雲
に乗り、初めて出会った友と一緒に旅をしたり、名古屋総会では主催してくれた地元の有志達のお世話により参加者全員で愛知万博を巡ったりした体験は、忘れ られない思い出として残っています。
高専人の登場
“高専を出た”それだけの繋がりが高専生をして生涯の朋とならしめています。同じ感覚を持つ友人達をいつからか誰ともなく“高専人”と呼ぶようになりました。
HNK総会の後、居酒屋で隣り合った初対面の方と話すと、不思議なことに必ず、その技術の先端で活躍している共通の知人が見つかるのです。実は幅が広 い、“高専人”の技術者としての蓄積や先端での活躍に驚かされると共に、自分もそこに立っている事に気づき、自信となり、いつも元気を貰って帰ったもので
す。何はともあれ“高専を出た”ただそれだけで、私たちは大きな財産を持っていることに気づかされます。話してみると皆一様に、そのことを感じているよう ですが、何故か高専人はみな表に出さず、それを友人に伝えようとはしませんでした。
企業内では極力学閥を避け、高専卒業生同士で集うこともないようで、"高専”の独自の人脈づくりには否定的で、どこまでも真面目が取り柄の技術屋さんたちでした。
私は若い時、真正直に仕事に取り組むあまり、社会人としての視点を持てなかった故に機械の設計技術者を辞めることとなり、以後は生活のために土地家屋調 査士を開業し、企業の総務課との長いお付き合いの経験から、企業人として生き残るには総合的なセンスを磨く重要性を感じてきました。
社会人として生き残るために
HNKの設立に心血を注いだもうひとつの想いは、「真面目な技術屋だけでは生き残れない、若いうちに会社の外に目を向けて、技術だけでなく社会性も身に 付け、考える技術者としての訓練を積んで欲しい」ことです。それにはまず、同じ高専人同士が集うことで、社会人として人と上手に付き合う術を身に付け、そ
れを糧にして社内にも社外にも自分のネットワークを広げ、技術と同様に見識と人脈にも幅を持たせ、ゆめゆめ、六十歳で停年などと言われて放り出されること の無きように、今の内に準備をして欲しいと考えました。
忸怩たる思いに駆られるのは、四十歳頃のエンジニアは気力実力充分で、そんな歳寄り臭い話しに耳を傾ける暇を持ち合わせておらず、私たちもそれをうまく伝えられなかったことで、"その時”が来た時には遅きに失し、友が不遇をかこったことです。
「同じ思いをさせたくない」いつもこの想いに駆られます。準備を怠らなかった者が生き残れるのは世の常で、敵を知り己を知る為にも、少し外側から自分たちを見つめ直す視点を持つことをお勧めします。
同窓会では上下関係は絶対ですが、ヒューマンネットワーク高専では年齢に関係なく平等で、自然とそうなるのが不思議でもありますが、相手を敬うのが暗黙のルールです。
間もなく百人にひとりは高専人の時代が来ます。エンジニアの十人にひとりは高専卒だそうです。それが学校の枠を取り払うだけで、同じ青春を共有した知己 となり、異郷にあって、ひとりぼっちを余儀なくされている方にも心を啓いたお付き合いを始めるチャンスが巡ってきます。ヒューマンネットワーク高専の一員
として例会に出席して朋と出会い元気を貰えば、昨日までの自分と全く違った自分を発見できることでしょう。
HNKへの誘い
HNKでは、各地に支部を設けていて、集いを計画しています。東京では会員持ち回りの月例会を開き、研究発表やコラボレーションの花が咲いていますので、顔を出して、毎回共通の知人を探してみましょう。
HNKの業績は、年一度全国を巡っての総会を開催している他に、赤とんぼの発行が大きな柱となっています。この冊子をご覧になって、ご自身が素晴らしい集団の一員であることに気づかれることでしょう。
HNKの会員になって会費を払うことにより、赤とんぼの応援ができ、高専の素晴らしさを全国の中学生に知らせるお手伝いができます。会員は自らHNKの会内で、学生の応援や研究会等のボランティア事業を提案し、仲間を募り運営することができます。
HNKは、その活動に参加し、応援や支援をする為の入会者を募集しています。情けは他人の為ならず。学生や学校や高専人の応援を通じ、直接参加が濃くなるほど喜びは広まり、人脈の広がりと共に人格の幅が増えていくことに気付かされます。
テーマは自由で、あなたが高専人であることが、ニーズの正当性を示しており、賛同者の多寡が発展のバロメータとなります。事務局は新しい提案を支持し、応援や支援ができるよう努力する用意があります。
最強の高専応援団として
HNKは、二十歳から六十余歳までのOBOGの心の叫びを社会に届ける役割も視野に入れ、広く高専人の拠り所となれるよう、みなさまと共に作り上げる団体 を目指しています。また、同様の志を掲げる如何なる団体との協力をも惜しみません。高専の将来に期待が高まっているこの時期に、高専の躍進に貢献し、明日 の工業の発展につながるよう共に手を携えて参りましょう。
“光陰矢の如し”と申しますが、冒頭の設立を思い立って早二十年、ここに新刊赤とんぼ12号の上梓に至りました。草創以来の朋は言うに及ばず、初めてこの赤とんぼを手にされた新しい朋ともHNKの来し方を共に喜びたいと思います。
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